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ミャンマー旅日記


谷山 明子




腹痛対策は絶対に怠るべからず

 ミャンマー料理ははっきり言えばタイ料理ほどにバラエティが豊かでない。そのせいか,旅行会社では誰の口にも合う中華料理店をよく勧めるし,中華料理店は比較的,値段も高い分,店内も清潔でトイレには紙を持った女の子までいる。なかには大根モチや点心類の豊富な飲茶の店もあるが,香港などで美食の限りをつくしてきた日本人には,決して満足のいく内容とは言えないだろう。

 ビールは地元で広く飲まれているマンダレービール,あるいはタイのシンハ,ハイネケンなどが出回っている。お土産に地酒を,と思うならば,マンダレーラムが良い。ヤンゴンのニューワールド・インヤレイクの1階にはショッピングアーケードが出来て,欧州のリキュール類からウィスキー,ワインまでを揃えている。旅の最後に米ドルが少しだけ余ってその店に行くと,手持ちのキャッシュで唯一,買うことができた酒がマンダレーラム。1本2ドル50セント。まだ飲んでないので味はわからないが,ラム酒には違いない。

 マンダレーには大きな中華街があるが,シャン州に近いこともあってヤンゴンではめずらしいシャン料理のレストランがおいしい。テーブルも皿もおさじも見るからに汚れていたのだが,数十種類の肉や魚,野菜の料理の鍋がズラリと並んでおり,指を指すと取り分けてくれるという方式。全体的に味が濃く,何やら辛いスパイスの味も多い。シャン・スープと呼ばれる香草入りのクリア・スープはとてもピリピリするが味もおいしい。全部たいらげると,その数時間後には腹痛がおそってきたが,正露丸で必死に乗り越えた。

 ヤンゴンを一歩出ると,トイレ事情は決してよくない。お腹を壊した時の苦しみは侮れない。だが駐在員の日本人でも「何が悪いのかわからないが,ときどき激しくお腹をこわす。多分,料理というより皿やコップのせいでは」と話していた。胃腸の薬だけは絶対持っていきたい。

ここは確かに宝島

 ミャンマーでショッピング,と聞けば意外だが,この国は年に2回,大きな宝石の見本市が開かれる世界有数の宝石原産国。買い付けの人々が世界中から訪れる。めったに見られないような濃くて鮮やかな緑色をしたヒスイ,サファイヤ,ビジョンブラッドのルビー,真珠などがゴロゴロしている。得にミャンマー産ヒスイは品質的に世界最高級とかで,価格も一番高い。だがヤンゴンのボージョーマーケットなどでは素人目には充分,美しい石のついたアクセサリーが安く売られている。アクセサリー用にカットされた石だけならばルビーやサファイヤでも1つ1000円ぐらいから買える。もちろんスタールビーやサファイヤとルビーが混じったという赤紫色の石などは高くなるが,日本の価格を思えば,いや,タイなどと比べても法外に安いと思う。宝石と言えば偽物が不安だが,幸いここではまだ偽物を作る方が高くついてしまうようで,今のところ,それほど心配はないと言われた。

 もうひとつ,お買い得なのは銀製品。ただし「銀」という証明の刻印などがない場合も多く,純度に関してはちょっと不安なものもある。銀製のスプーンやカップからパーティー用の小さなバッグまで,デザインは細かい模様の入ったものが多く,エキゾチック。銀のバックはサミットパークビューホテル内の店で買っても150ドル程度,スプーンは1本7ドルくらいからある。

 漆器や人形,バガン王朝時代のアンティークの模倣品など,めずらしいお土産は尽きない。ヨーロッパから訪れる旅行者たちはこうした物が大好きだ。食べ物ならばこれも日本では数グラムで数1000円もするスパイス,サフランがお勧め。どんな地方の市場でも唐芥子やカレーのスパイスと並んで必ずあるが,値段は袋いっぱいにつめて100円ぐらい。料理好きの人のお土産には絶対,喜ばれる。



日本語ガイドは憧れのお仕事?!

 「かつて英国植民地だったからみんな英語がしゃべれる」。ミャンマーの投資環境が他のインドシナ諸国と比べて勝っている理由として,よく引き合いに出されるポイントのひとつだ。だがミャンマーは第2次世界大戦末期の3年間,日本軍占領下にあった時期もある。マンダレーの王宮は,当時,日本軍の指令本部として使われ,それが原因にもなって連合軍から爆破されることになった。現在残っている王宮の建物でオリジナルの部分は門だけ。日本人は,ミャンマー王家最後の王をインドで抹殺した英国人と並んで,恨みをかっても余りある。

 ところが日本に対するミャンマー人の感情は,他の東南アジア諸国と比べて肯定的だ。「お金を落としてくれるいいお客さんだから」といった計算は,まだ一般外国人に開放されたばかりのこの国にはなさそう。日本軍がこの国にいたのが大戦末期だったためなのだろうか,むしろ連合軍に追われて逃げる日本軍に地元の人がひそかに食べ物や水をくれたという美談も多い。ミャンマー最大の有名人,アウン・サン・スーチーさんの父親で「独立の祖」と呼ばれる英雄,アウンサン将軍が,かつて日本に留学して日本政府の援助を受けて武道などを学んだ,といった史実もあって,ここの日本人像はおそらく実物よりも格段に崇高なものでありそうな気がする。旅行者にとっては有り難い状況だ。

 日本語ガイドは今,足りなくて困っていると言われるが,現地の人の間では人気の職業。英語ガイドはたくさんいるが,日本語で遺跡の説明ができるガイドはまだまだ足りないため,両方の言葉ができるガイドにとっては日本語ガイドの方がおいしい仕事でもあるようだ。私に付いてくれたガイドは若干20歳の小柄な女の子,Aちゃん。「日本語がもっとうまくなりたいです」と何度も言うが,まだ大学生のアルバイトなのでバガンなど回っても,どの寺院が何という名前で,どのくらい古いのか,どのような逸話があるのかなどはウル覚え状態。「確かアレが,ええと,アーナンダ寺院。バガンで一番きれいな寺院と言われております」などと,語尾だけは妙にていねいな言葉遣いながら,内容的にはかなり怪しい解説をしてくれる。その代わり,正真正銘のハタチ。この世代の女の子たちの考えをかいま見るには,なかなか興味深い話し相手だった。

タイトスカートは恥ずかしい

 20歳といえばお年頃だが,ミャンマーでは大学生の男女が日曜日にデート,とはいかないようで,貞操観念も今の日本の100倍くらい固そうだ。特に良家の子女の夜の外出は許されない。Aちゃんもガイドの仕事で夜8時,9時の帰宅になると両親は心配するというが,日本語の勉強にもなると許してもらっているという。友達と遊んでいてそんな時間に帰宅することは有り得ない,と彼女は不思議そうな顔をする。

 帰りまぎわ,スーツケースに詰め込みきれなくなったタイトスカートを見せて,「要らない?」と聞くと,「恥ずかしいです!絶対いやです」と非常に恥じらう。9割の男女がくるぶしまである長い腰巻き,ロンジーをはくなかで,膝から下の足を人前にさらすのはものすごく恥ずかしいのだそうだ。ここでは道路工事をする男性も,ヘルメットはかぶるが,ズボンではなくロンジーをはいている。ジーンスすらほとんど見かけない。女性も靴ヘパンプスやサンダルをはき,上着には洋風のブラウスやTシャツを着るのに,スカートだけは随分,抵抗感があるのだ。

 日本で何か欲しいものはあるかと聞くと,「欲しくはない」と固く断りながらも,「日本に行ったことのあるガイド仲間は皆,首から下げられるヒモの付いたボールペンを使っている。あれはミャンマーでは売っていない」と言った。そういえば市場で私が手に持っていたペンを子供たちから執ようにおねだりされた。チップ替わりにタバコ,というのもよく聞くが,ペンや文房具をあげでも喜ばれるという。


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